HPA 広島写真美術協会
「カメラ」菅原コレクション 「写真」明田 弘司 「撮影」オーシマ・スタジオ

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菅原コレクション

Posted in 写真関連, 特別展示室  by HPA on 5月 9th, 2012

「ザ、パール」

「ザ、パール」1911年(明治44年)小西本店(現コニカミノルタ)
 8×10.5、8×13.5cm判、手札判乾板は118フィルム使用のハンドカメラ、ボディは国産だが、当時は良い国産レンズもシャッターも無かったので米国またはドイツ製を取り付けた。価格は135円位から各種あり。
 コニカはわが国最古のカメラメーカー、創業明治5年 杉浦六右衛門、最初の量産カメラは1903年(明治36年)チェリー手堤暗函と言われている。

「八九式活動写真銃 改二」


「八九式活動写真銃 改二」1933年(昭和8年)小西六本店(現コニカミノルタ)
 35mmフィルム使用のスプリング動力式連続撮影カメラ、画面サイズ24×18mm、引き金式シャッターを切ると一連写10コマ/秒、70枚の連続撮影が可能、海軍高等練習機「白菊」や九十式艦上戦闘機の後部旋回機銃席へ半固定して射撃訓練をする目的で使用された。
 ストップウオッチにもなるネジ巻き専用時計(同時展示、裏にカメラ名刻印がある)をエボナイト整風防内へセットすると、画面の一隅に時計が写り、撮影時刻がかわかる。東京の日本カメラ博物館所蔵の同型カメラは風防がないタイプ。
 第一次世界大戦後、海軍艦政本部の山田幸五郎氏が英国へ出張し、ソルントンピッカード製ハイス型写真銃の設計図を入手、これを元に15式写真銃が造られ、この改良型が「八九式活動写真銃 改一」1929年(昭和4年)として正式採用された。改一は一連写32枚、連続224枚の撮影であったが、改二はフィルム節約型となった。
 大変用戦争初期に無敵を誇ったわが零式戦闘機名の由来は、わが国固有の年号皇紀(初代の天皇神式即位が元年)2600年(昭和15年)に正式採用されたからで、昭和16年採用の陸軍の隼戦闘機は一式戦、隼の前の九十七式戦闘機は昭和12年採用を表す。

「マミヤシックス Ⅰ」

「マミヤシックス Ⅰ」1940年(昭和15年)マミヤ光機制作(現マミヤオーピー)
 20フィルム使用の6×6判スプリングカメラ、距離計に連動していてフィルム面を前後させピントを合わせる独特の機能を持つ(バックフォーカシング、間宮精一氏考案、6年後英国エンサインコマンドが模倣)またシャッターを切るファインダーに赤いマークが出て二重撮影防止警告をする。価格248円。

「タローフレックス」

「タローフレックス」1943年(昭和18年)日本光測機
 タロンは旧社名を光測機といい、戦後からNKS名のレンズシャッターを造っていた老舗メーカー(社長は柳原多三郎氏)、戦争が激しさを増した昭和18年日本商会からの依頼で二眼レフ「タローフレックス」を製造、カメラメーカーになったが次期社長の長男和雄氏が結核療養中であったため、戦後カメラ製造に参入したのは遅く、昭和30年頃からもっぱら大衆カメラをつくったが昭和40年頃倒産。
 戦前のタローフレックスも同時展示する「贅沢は敵」兵器優先の時代、このレンズのアウトフォーカス部は反射望遠鏡みたいな面白い円形ボケでシャープとは言えないが生産台数は希少と思われる。

「コニカ 1」

「コニカ 1」1984年(昭和23年)小西六(現コニカミノルタ)
 老舗小西六、戦後の35mm1号機、やはりオキュパイド ジャパンとある。沈胴式でセルフコッキングにはなっていない。

「マミヤ 35」

「マミヤ 35」1948年(昭和23年)マミヤ光機製作所(現マミヤオーピー)
 35mm判、距離計連動式レンズシャッターカメラ、フィルムを巻くとシャッターが自動的にセットされるセルフコッキング機構を採用。マミヤシックスと同じくフィルム画面を前後させてピントを合わせる(バックフォーカシング)。軍艦部などマミヤシックスの部品を使っている。価格24,000円 メイドイン オキュパイド ジャパンの刻印あり。

「アサヒフレックス Ⅰ」

「アサヒフレックス Ⅰ」1952年(昭和27年)旭工学工業(株)(現ペンタックス)
  国産初の35mm フォーカルプレーンシャッター式一眼レフカメラ。しかし、このカメラはまだクイックリターンではなく、シャッターを切った後、指を離すとミラーが復元し画像が見える方式。レンズ絞りは普通絞りでクリックはない。価格23,000円

保存撮影・オーシマ スタジオ(有)・大島邦夫(おおしまくにお)